コラム

仏涅槃図について

時代の変遷と涅槃図様式

沙羅双樹の間に頭を北に向け、右脇を下にし、足の上に足をかけるお釈迦さま

【沙羅双樹の間に頭を北に向け、右脇を下にし、
足の上に足をかけるお釈迦さま】

涅槃図とは、一般的にお釈迦様がお亡くなりになられた場面を絵に描いたものです。日本で現在最も古いとされているのが応徳三年(1086)に描かれた高野山金剛峯寺所蔵の仏涅槃図(国宝)です。涅槃図が急速に普及していったのは江戸時代以降ですが、涅槃図には時代の変遷とともに様式があり、唐代の様式を模した第1様式、そして宋・元代の涅槃図様式を取り入れ日本独自の形態を取っていく第2様式があります。

時代の変遷と涅槃図様式その比較方法として一番にあげられるのが、描かれている動物の数の違いです。
第1様式では動物がほとんど描かれません。それに対し、第2様式では、時代と共に動物の数が増え、江戸時代には淡水魚や海水魚が同一に描かれたものまでもが存在し、まるで鳥瞰図のような彩色の細かなものや画家が描いた精細なものまでもが登場します。
ところで、涅槃図は一般的にお釈迦様の「死」というように思われがちですが、仏教では「寂の境地」つまりは、すべての煩悩から解き放たれ最高の位に着かれたという意味があります。「涅槃」はサンスクリット語でニルヴァーナといい、吹き消すこと、吹き消した状態を意味します。煩悩の火が消滅して智慧が完成した「さとり」の境地を示すものなのです。この涅槃図の典拠となる経典類には、四十巻本「大般涅槃経」・「大般涅槃経後分」・「仏般泥洹経」・「長阿含経」・三巻本「大般涅槃経」・「般泥洹経」・「摩訶摩耶経」・「仏母経」・「仏所行讃」等があります。
涅槃図は一見どれをとっても同じように見えます。しかし、同じように見える涅槃図も時代によって様々な変化を遂げてきました。言いかえれば、その時代、時代を反映している時代の記録画かもしれません。
最後に1つ、もし鎌倉時代以前の涅槃図を見る機会があればお釈迦さまの周辺におられる人々に注目し、その表情をじっくりと眺めて下さい。そこには、「涅槃」というものを「さとり」と理解できるものと、「この世にもう教えを解くお方はおられない」と嘆き悲しむものがはっきりと区別され描かれています。

信仰対象としての絵画

涅槃図は、毎年2月15日(旧暦では3月15日)に涅槃会法要が各お寺で厳修される際に御開帳されます。現代では博物館や美術館で美術絵画として通年展示されることが多くなりましたが、本来は年に1回(1日ないし数日間掛け)開帳され、保存箱に収納し翌年まで開封することはありません。このように現在日本各地のお寺で保管されている涅槃図は、常用掛け軸や季節ものの絵画や墨蹟とは異なり、使用頻度が極端に少ないため、数百年も修理されずにあるものも少なくありません。
信仰対象となる絵画には、現在に至るまでの様々な人々の想いや願いが込められています。
特に御本尊や御神体として大切にされてきたものは、度重なる加筆や応急的修理が施され現在まで残っているものが殆どです。

これらはいいかえれば過去の記録です。 このような記録を残し、そして新たな記録を作り、100年、数百年後に修理ができるよう修理を行うことが何よりも大切だと考えます。(材料へのこだわりはこちらから→

そして最後に文化財として後世に伝えるのはもちろんのこと、信仰対象として扱われてきた絵画(仏様や天神様)には、これまでの人々が受け継いできた想いや願いに対し、まず第1に手を合わし、感謝し、仕事をおこなうことを心がけております。(修理について、詳しくは修理方針と工程をご参照下さい)