襖絵保存修理
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<襖絵>[京都府社寺等文化資料保全補助金補助事業] [京都市文化観光資源保護財団補助事業]
悲田院 本堂障壁画34面の保存修理
紙本着色 土佐 光起(1617-91)・光成筆(1646-1710)合作
本紙寸法:縦177cm × 横139.5cm修理前の状態
大正期頃に襖から外され巻いた状態で長年保管されていたため、本紙の劣化が著しく、横折れ、亀裂、剥落等の破損が酷く非常に脆弱な状態であった。また、過去における簡易修理跡も美観を損ねていた。
襖絵概要
悲田院本堂の襖絵として、東の間の唐人物画、西の間の走獣画、何れも漢画のジャンルに入る。東の間西側「陶淵(とうえん)明愛菊図(めいあいきくず)」と西の間「松に群猿図」の落款には、それぞれ「行年七十二土佐法眼常昭筆」の署名と、朱文方形「藤原」印が認められる。七十二歳、元禄元年(1688)の作品であることが分かる。「常昭」と号した四年後の元禄四年に七十五歳で他界、百萬遍知恩寺に葬られている。
〔京都市文化観光資源保護財団 専門委員 武田恒夫先生著〕修理要点
襖絵が非常に脆弱な状態であったため、本紙繊維の強化を特許第1645573「紙料液による古書画等の修理方法並びにその装置」を用い行い、本紙修理(シミ抜き、洗い、裏打ち)を行った。欠失箇所には顕微鏡繊維同定調査により明らかとなった同等の構造の紙を補填し古色を施した。
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〈襖絵〉[京都府社寺等文化資料保全補助金補助事業] [京都市文化観光資源保護財団補助事業][住友財団補助事業]
長得院
紙本墨彩画 本堂障壁画全52面 岸連山筆(5カ年継続事業)
修理の要点
本作品は大本山相国寺塔頭長得院本堂の5室にわたる障壁画で、総数は襖絵46面・障子腰貼付6面の計52面である。筆者は江戸時代後期の画家、岸連山(1804-1859)で、岸駒の門人ながら岸派の代表格として活躍し、幕末には平安四名家の一人として評された。本障壁画は、連山の単独作品であり、柔和で装飾的な画風が表れた代表作といっても過言ではない。修理前の本紙は破損が著しく、乾燥による大きな亀裂、シミ、剥落が見られ、ことに間似合紙を使用しているため、紙が細片粉末化(急速な劣化進行)のため非常に深刻な状態であった。
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〈襖絵〉
大善寺蔵(広島県)
本堂襖絵
紙本着色「牡丹に唐獅子」 江戸時代 狩野派
本紙寸法:縦182.8cm×横137.6cm修理の要点
表から部分的に貼られた唐紙を除去し、本紙の欠失部は出来るだけ同素材の紙を用いて補填した。本紙の劣化の進行を抑えるため、同時に裏打ちにて補強した。襖の下地は(注) 6工程の下張りを和紙にて新調した。絵画面の欠失部の古色は全体のバランスを考慮しながら施した。
(注) 工程とは
下地(良質の杉材にて組子仕上げ)に貼る下張りの工程をいう。
骨縛り、胴張り、蓑掛け、蓑縛り、受け掛け、受け縛り、それぞれの工程によって異なる和紙を使用する。 -
〈襖絵保存修理〉鳥取県指定文化財[出光文化福祉財団補助事業]
鳥取県立博物館蔵 旧興国寺書院障壁画保存修理
襖絵22枚38面の保存修復事業
紙本墨画(一部淡彩)土方稲嶺筆修理前の状態
本紙は、経年劣化により非常に脆弱な状態で、湿気によるシミも広がり所々、カビも進行していた。本紙には擦れや破れ、虫の糞や経年による劣化が著しい箇所が全体を通し多く見られた。修理をおこなうにあたり、公財)文化財虫菌害研究所認定薬剤(日本液炭株式会社) エキヒュームS(酸化エチレン製剤)にて薬剤燻蒸を行った。
また本紙が、非常に脆弱な状態であったため漉き填め方式(特許1645573号)「紙料液による古書画等の修復方法並びにその装置」を用い、紙料の強化を行った上で修理作業をすすめることとなった。(詳しくは、漉填め法を利用した本紙繊維補強参照) -
〈襖絵保存修理〉
銀閣寺(京都)
紙本墨画淡彩「大江捕魚図」 富岡鉄斎
修理の要点
新書院大広間に描かれた2間床障壁画2面、襖12面から成る大作。
大江の流れに沿って展開する漁樂の営みの広々とした光景が描かれている。本紙は経年による傷みが進行していた。作品全体の流れを考慮しながら、本紙の修理は慎重に進められた。 -
〈襖絵保存修理〉
総本山光明寺蔵(長岡京市)
長岡京市指定文化財
紙本金地着色「御所伝来襖絵群」全55面の内8面修理の要点
本紙は経年による傷みが酷く、以前の修理跡が目立ち全体の美観を損ねていた。修理前の本紙の現況を記録した後、膠溶液で絵画部の剥落止めを行った。以前の修理箇所で不適当な部分は摘出し、本紙の破損箇所は本紙となるだけ同様の素材を用いて修理を施した。下地は良質の白太杉材にて新調し、6工程の下張りを和紙にて行った。
修復の工程
・総本山光明寺蔵(長岡京市指定文化財)
紙本金地着色「御所伝来襖絵群」全55面の内8面
天井壁画保存修理
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〈天井画〉
龍光寺蔵(三重県)
本堂下陣 天井画
紙本墨画「雲龍図」 明治時代 京都東福寺 芬陀院住職 号 雪兆作
本紙寸法:縦450cm×横1830cm修理の要点
本紙は劣化により切裂が多数発生して、天井から剥がれ落ちていた。
本紙を天井から取り外した後、継ぎ目に沿って本紙を解体し、更に破れた本紙を集めた結果、50ピースに分割された。本紙の硬くなっている部分は、(注)特許の方法にて再生させた。修復した本紙を30ピースに組み合わせた後、生漉和紙にて3度に渡り裏打ちを施した。(注)
特許第1645573号
発明の名称「紙料液による古書画等の修復方法並びにその装置」修復の工程
・龍光寺蔵(三重県)
本堂下陣 天井画
紙本墨画「雲龍図」 明治時代 京都東福寺 芬陀院住職 号 雪兆作
本紙寸法:縦450cm×横1830cm -
〈天井画〉
金戒光明寺 阿弥陀堂
天井画「龍図」保存修理・須弥壇壁面張替工事
紙本墨画 「龍図」専譽傳故 筆
本紙寸法(㎝):縦 約900 ×横(約)1010修理前の状態
天井画全体に経年による傷みが進行していた。本紙が下地からめくれている箇所、亀裂や破れ、また水や湿気による大きなシミ跡も広範囲に渡り深刻な状況であった。
修理前調査
本紙が天井板に直接貼られた状態であり、そのことが原因となって発生した傷みも多く見られた。天井板の継ぎ目に沿った大きな破損などは、弱った本紙が長年の板の動きについていけなかったためであった。(板のやせ、反り、割れ、継ぎ目のズレ)
修理要点
天井画本紙が直接板に張り付けられていたため、木の伸縮に合わせ紙も動き、かつ劣化速度を速めた。京都府文化財保護課の指導の元、「現状変更等許可申請書」等の手続を行った上で、長期保存に適すよう組子下地、下張りを新調、そして本紙張りを行うこととなった。
仏像・仏具・本堂改修事業
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〈仏像〉
長楽寺蔵(千葉県)
仏像「不動明王坐像」 室町時代
本体寸法:高さ52cm×巾43cm×厚み39cm修理の要点
江戸期の修復時による厚い補彩を取り除き、仏像の木の割れ、虫食い、隙間の修理、外れていた膝の部分を取り付け、締め直しを行った。本体の修理後、修復時に出現した制作当時の彩色を元に古色を施した。欠失していた弁髪、剣の柄、持ち物などを新調し補充した。
文書・巻子保存修理
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〈文書〉
入間市博物館蔵(埼玉県)
古文書「年貢割付状」金子支所文書 文政4年10月
修理の要点
本紙は虫食いが酷く、広げることも困難な状態であった。本紙を丁寧に広げながら分散している箇所の文字を拾い、特に文字の並びは慎重に繋いだ。純生漉和紙にて裏打ちを施し十分仮張り乾燥させた後、本紙の周囲に余白を設け仕上げ裁断した。
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〈巻子保存修理〉
明治大学(東京都)
古写本「御成敗式目」一巻
修理の要点
巻頭部の虫損の部分を修理し、本紙の剥がれた箇所を接合後、裏打ちを施した。(裏打ち紙は再使用)本紙の折れを防ぐため、太巻き芯付桐箱を新調した。
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〈巻子保存修理〉
日光道中絵巻 江戸時代
丈29.7cm × 長さ335.0cm
巻子1巻の保存修理及び3幅対箱の製作。本紙は縦折れが非常に多く開封時に危険な状態であった。本巻子は3巻からなる一連のシリーズで、1巻、2巻ともに使用された裏打ち紙材料、表紙の裂地、見返し、巻子の長さも異なっていた。また太巻き芯の長さも1巻目、2巻目とともにそろっていなかった。
修理方針
異なった長さや巻きの巻子を同箱に保存するために、1巻目、2巻目は底上げし、高さ調整を行うことにした。またこの底上げによってできた空間を防虫香入れとし空気穴をあけ空気が箱内に循環する使用に仕立てた。同箱収納仕様に決定した結果、1巻、2巻の表紙、見返し、巻紐、軸棒を新たに新調し3巻を統一した形態にした。長さが異なる太巻き芯については軸枕を通常より大きくすることで問題を解消した。
掛軸保存修理
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<掛け軸>[京都府社寺等文化資料保全補助金補助事業]
清浄華院蔵 板貼付 厨子入り 縦51.0㎝ × 横26.2㎝
絹本着色 不動明王像(泣不動尊)南北朝時代
修理の要点
『清浄華院由記』に智証大師円珍筆として記載される什物。『発心集』に物語が収録されて以来著名な泣不動尊の絵像そのものである。 修理前の状態は、本紙は板貼り付けで下張処理がなく、温室度の影響を直に受けていた。そのため、本紙(料絹)も全体的に脆弱な状態であり、キクイムシ等による食害痕も表装裂では確認した。
修理前の顕微鏡調査では、不動明王左目から赤色顔料による線が見られ、胡粉による下地処理を施した後に赤色顔料が塗られていることが明らかとなった。 -
<掛け軸>[京都府社寺等文化資料保全補助金補助事業] [長岡京市文化財助成金補助事業]
総本山 光明寺蔵 絹本着色 阿弥陀聖衆来迎図 惠心御筆
修理の要点
総本山光明寺に伝わる絹本著色阿弥陀聖衆来迎図(以降、本掛幅)は、保存箱表に「圓光大師御臨終佛 本山粟生光明寺什物」、裏書に「法然上人臨終佛 惠心御筆 洛陽西山光明寺三十二世倍山寛文二寅暦五月吉日(1662年)」とある。
歴史的観点からまず光明寺沿革誌によると、『第三十二世倍山俊意上人は一山隆興の功勲者たると同時に伝法相承の中興の師とされ、また寛文二年六月、大師の張御影の尊像に侍して江府に参向し、回向院で二十七日の間、開扉為拝を修行した徳川大樹の招請に依り、影像に侍して登城し、御本丸に於て三日間、影像御逗留になった』、とある。このことから本掛幅は、この一ヶ月前に倍山上人が箱書きを行っていることから、この当時に一度修復が行われていたことが推測される。
本紙の状態は、全体的に経年劣化が著しく、横折れにより料絹の剥離、剥落が目立つ。御本尊以外の箇所の欠失箇所には補絹が施されておらず、阿弥陀本尊光背の絵絹欠失部は円光背に沿って切られた(長方形に)絵絹が補填されていた。このことから、法要の度破損個所が修復されていたことが伺える。 -
〈掛軸保存修理〉
相国寺(京都)
絹本着色「白衣観音像」1幅(室町時代)
修理の要点
本紙の絵の具の剥落止めを十分に施した後、本紙のカビ、汚れを表面から蒸留水を用い特殊和紙にて丁寧に取り除いた。また本紙は経年による傷みが進行しており、絹の補修には特に注意を払った。
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〈掛軸保存修理〉
相国寺(京都)
紙本着色「大涅槃図」1幅(江戸時代)
修理の要点
本紙寸法:総丈494cm×総巾630cm
湿気によるカビ等の汚れを、表面から蒸留水を用い特殊和紙にて取り除いた。本紙全体の折れによるシワは、丁寧に伸ばし純生漉和紙にて折伏せを施した。大幅のため、十分な乾燥期間を設けた。 -
〈掛軸〉[京都府社寺等文化資料保全補助金補助事業]
安養寺(京都)
絹本着色「眼明阿弥陀」1幅(室町時代)
修理の要点
本紙は全体にわたり折れが酷く、純生漉和紙にて細かく丁寧に折伏し補強した。以前の修理箇所は取り除き、十分な調査分析のもとに同素材を用いて修理を施した。
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〈掛軸保存修理〉
鰐淵寺(島根県)
県指定文化財(南北朝時代)
絹本着色「種子曼荼羅 胎蔵界・金剛界」対幅修理の要点
本紙は縦横の無数の折れ、亀裂が発生し傷みが進行していた。
本紙の破損箇所は、十分な調査分析のもとに同素材を用いて修理を施した。 -
<掛け軸>川崎市重要歴史記念物[川崎市補助金補助事業]
川崎大師平間寺所蔵 川崎市重要歴史記念物保存修理
5か年にわたり行った川崎市重要歴史記念物保存修理事業。
絹本着色 地蔵菩薩二童子図(鎌倉時代) 本紙寸法:縦100.7cm×横39.9cm修理要点
表装裂は金襴表装で誂われ、更に一文字には印金が使用されていた。本紙は絵絹に書かれており(以下、料絹)、過去における修理跡(旧補絹)が非常に乱雑に填め込まれており、その箇所から料絹の剥離、剥落、さらには顔料の剥離、剥落が確認され、顕微鏡調査では共裏修理である絵絹も見られた。
担当者と協議の結果、保存の観点からも乱雑な補絹を除去し、調査で明らかとなった絵絹密度と同等のものを紫外線劣化し、古色を施した後使用することとなった。 -
<掛け軸>川崎市重要歴史記念物[川崎市補助金補助事業]
川崎大師 絹本着色「地蔵菩薩図」(鎌倉時代)
絹本着色 地蔵菩薩図(鎌倉時代) 本紙寸法:縦89.0cm×横36.7cm
修理要点
過去の修理に於いて、殆ど補絹が施されておらず、旧肌裏紙に直接加筆または古色されていた。顕微鏡検査では、絵の所々に加筆が見られた。また、絵絹が欠失していた箇所にはあたかも補絹を施したように、網目模様が描かれていた。本紙に浮きが多かったことから旧肌裏紙の取残しが懸念された。
修理後補足
過去の修理では旧肌裏紙の取残しが多く残ったまま修理が施されていた。「過去の記録」を残すためにも菩薩本躰に施された加筆はそのまま残し、現状維持するということが関係者との協議で決定した。
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掛け軸 川崎市重要歴史記念物 [川崎市補助金補助事業]
川崎大師 絹本着色「仏涅槃図」狩野秀信筆
絹本着色 仏涅槃図 狩野秀信筆 本紙寸法:縦169.8cm×横100.0cm
修理要点
胡粉、緑青、群青の剥落および剥離が目立つ。本紙部分的に肌裏からの浮きがみられ、その結果、本紙にシワや亀裂、剥落が生じている。
本紙絵絹に裏彩色が施されていたことが、緑青剥離部分の目視表面調査より伺えた。
旧肌裏と本紙が浮き、その部分がシワになり折れが生じていたことにより、肌上げ法は乾式肌上げ法を使用し、裏彩色が確認されたことから、旧肌裏紙の打ち戻しを行った。 -
〈掛け軸〉県指定文化財[久喜市補助金補助事業]
吉祥院(埼玉県)
県指定文化財(鎌倉時代後期)
絹本着色「如意輪観音像」「地蔵菩薩像」「五大尊像」3幅修理の要点
本紙は経年による傷みが酷い上に、以前の修理箇所も全体の美観を損ねていたため、修理箇所を取り除き、十分な調査分析のもとに同素材を用いて修理を施した。また、現状を考慮した上で当該仏画に相応した表装に仕立てた。
御駕籠保存修理・その他
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〈御駕籠保存修理(江戸時代)〉
大本山相国寺蔵
相国寺歴代住持専用の高級仕様で、担ぎ手は通常六名、網代駕籠は、竹や檜を薄く削ったものを編み上げ、錺金物を桟や要所に打ち、蒔絵を描き、漆を数回に渡り塗り上げたものである。
相国寺第九十五世鳳林承章禅師(1593-1668)は御水尾天皇と親交が深く、禅師の書いた「隔冥記」にはよく御所へ参内したことが記され、その折に使用されたと推測される。修理要点
御駕籠は全体的に漆の剥離、剥落、網代、内装の経年劣化、金具等の腐食や折れなど非常に脆弱な状態であった。錺金具はすべて洗いを行い、本金メッキを施す。また、傷みの著しい部分の木地に関しては、木地修理を行った上で土台を補強し本漆塗りを行った。
内装についても天袋に金地墨画の草花図が描かれていたが、引手の経年劣化や金地部分の箔の剥離、剥落等も著しいため、十分な剥落止め及び下地、下張りの新調。椽については漆の塗りなおしを行った。 -
〈人形修理〉
柳雛(殿・姫)一対保存修理(個人蔵)
明治初期に本象牙で作られた雛人形(内裏様・お雛様)。修理前の現状は黒染めの絹糸がちぢれた状態であったことから髪の毛の結い直しを行い、また施主様のご意向により着物の着せ替え作業も行うこととなった。付属品である冠や帽子、刀は現状のまま修理再使用した。